子供が2才と4才のとき、どうしても、もっとちゃんと編み物について、徹底的に習ってみたい
という欲求が押さえきれなくなった。私にしては、自分のことはでいるかぎり辛抱することが
唯一の取り柄だったのに、このことに関してだけは、泣きながら子供の父親を説得した。
同時に、遠く離れた場所でがんばっていた父が、この話を聞きつけ
「私の気の済むまで学校に通わせてやれ」と母を神戸に残してくれた。

おかげで4年半かかったけれど、無事、講師の資格も取れた。
喜びもつかの間、いつも応援してくれていた父は天国にいってしまった。
私のせいか・・・母が父の側にいればこんことにはならなかったのに・・・
と落ち込んでいたけど、私は惜しみなく応援してくれた母や父のためにも
大好きな編み物で生きていくんだと誓った。

ある日、名もなき、存在すら知られていないような私のような者のもとに、しがみつきたいほどの
チャンスになりそうな仕事が幾つかやってきた。
でも、すべて、ひとつ残らずあきらめらくてはならなかった。。。
どうしてか・・・ 今その答えを問うても、世間でばりばり働く相手にはたいしたことのない、
たかだか編み物の仕事のこと。あかんといったことさえ覚えてもいないだろう。
けどそれは、私がちゃんと説明して説得しなかったから、悪かったこと。


この時の私個人の人生の教訓
*チャンスは何度でもくるかもしれへんけど、同じチャンスは2度とやって来ない!


そんな生活が16年。16年も一緒に暮らしてたら、私という人間はどんな状況でも
毛糸に囲まれてたら、たいがいのことは絶えるだろう。と軽く思っていたのでしょう。
2008年・夏 私に予想もしていない生活が待ちかまえていたなんて、想いもしなかった。

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